ムシバナシの雑記帳

日々雑感あれこれです 日課は踏台昇降と読書少々、朝のしらすご飯と焼海苔

『日本人はなぜ無宗教なのか』 阿満利麿  

何気ない会話で「自分は無宗教」と過去に何度か言ったことがある。
そう言いつつも実はどうもその表現がしっくりこないような気もしていて、しかしその違和感の正体を追求することなく放置していた。そんな私にお勧めの一冊。

●宗教を「創唱宗教」と「自然宗教」に分けて考える。
創唱宗教:教祖と教典、教団の三者によって成り立っている。代表的な例は、キリスト教・仏教・イスラム教、いわゆる新興宗教など。
自然宗教:いつ、だれによって始められたかも分からない、自然発生的な宗教のことであり、教祖や教典、教団を持たない。あくまでも「創唱宗教」に比べての用語であり、大自然を信仰対象とする宗教ということではない。自然に発生し、無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた宗教のことである。

●日本人言う「無宗教だ」は、「特定の宗派の信者ではない」という意味。キリスト教徒などがいう「無神論者」ということではない。
 
●明治維新の国家神道(天皇崇拝)でややこしくなった?祭政一致、神仏分離。

●宗教は尊いものではあるが、「四季朝夕の尋常の幸福」を抑圧するようなものならば、そのような宗教からは遠ざかる方がよい by柳田國男

少しだけしっくりこない感が薄まった気がする。無宗教という訳ではないのだな。

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『南アルプス山岳救助隊K-9 レスキュードッグ・ストーリーズ』樋口明雄  

山と人と犬の12の物語。
今回はテロとか銃は出てこない。山を舞台に活躍する登場人物達が強く優しく健気で、毎度期待通りの読後感を得られる。
山でのあのような濃い時間(山岳救助、仲間達、犬との信頼関係)を知ってしまったら、普通の生活には戻れないだろうなあ。

装丁も好き。

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『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』  

イタリア最南端のランペドゥーサ島(与論島くらいの面積)は北アフリカから最も近いヨーロッパの領土であり、アフリカや中東からの移民・難民が後を絶たない。
命からがら島に辿り着くか、過酷な船旅の末に船底で遺体となって人生を終えるか。
島に住む少年の普通の日常と、海の向こうからやって来た移民・難民が交わることはない。

難民船の海難事故などはたまにニュースで知るが、難民船が着く場所に関しては考えたことがなかったな。
感染症予防の為か全身白の防護服(?)姿の人々が救助にあたり、所持品・身体検査を行い。
通訳無しでの診察に難儀する医師。
そんな光景が、いつまで繰り広げられるのか。
遠い場所での出来事に、漠然とした思いしか抱けないが。しかし確かにこういう事が起こっているのだ。
淡々としたドキュメンタリー映画だが、多くの人に観て欲しい。しかしシネマモードでは今日までだった。

category: 映画館など

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『天災と日本人 地震・洪水・噴火の民俗学』畑中章宏  

グラッときたら、火の元確認と家のドアを開ける(歪んで開かなくなるので)。幼い頃から母から言い聞かされていたので、真面目に実行していた。
富士山が噴火したらここまで飛んで来る(噴石?火山灰?)とか、狩野川台風の話とか、今思うと家庭においての災害ネタは珍しくなかった子供時代。

納屋や母屋の土間の天井などに吊るしておく避難用、移動用の木舟(【上げ舟】という)を備えていた、というのは何かで聞いたか読んだかしたが、
【上げ仏壇】仏壇に滑車を取り付け、洪水時にはロープを使って二階へ引き上げる装置を備えている
は知らなかった。水害迫れば仏壇をカラカラカラと上階へ。ほー。

自然災害に真っ向から闘い完璧に防ぐ(無理だが)のではなく、ほどほどに付き合い都度復興して生きてきた日本人。
以前も書いたが、やはり沈下橋的発想を今の技術で形に出来ればと思うがな。

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『コルベ』川下勝  

ポーランドのオシヴェンチム(ドイツ語ではアウシュヴィッツ)収容所で他の収容者の身代わりとなり命を落としたコルベ司祭の伝記。(ユダヤ人ではないが、宗教者としての活動の一部が逮捕の理由となった)
その実話を知った時の静かな衝撃は『塩狩峠』(三浦綾子)を初めて読んだ時のものと似ていた。

両親の“行動力”“克己心”“意志力”“貧者への共感”など多くの精神性をを引き継いだコルベは、その資質と努力、信仰心を持って究極の自己犠牲の行いに至った。
コルベの生い立ちから信念・思想をくまなく学ぶには良いのではないか。私の場合は根気の無さから学ぶに至らず斜め読みですみません。

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